2012年01月26日
重たいような軽いような
どこから話したらいいのか分からないのですが、今日、知人が亡くなりました。
そして、母と妹と一緒に枕花を届けに行きました。
その知人は、父が十数年前に飲み屋さんで連れてきた人です。
いや、違う。
ずーっと昔父とその人は仕事で知り合い、音信普通だったのです。
それが、十数年前に、偶然父が遊びに行った飲み屋さんで知らない客が「○○がどこぞの貸家に住んでいる」という噂話をしているのを聞いて、あまりに変わっている名字の人だったので、その噂をしている人に「知り合いかもしれないからどこの貸家か教えてほしいと」頼み、教えてもらって会いにいったら、やっぱり昔から知っている人だったということなのです。
その人は、体が不自由になっており、若いころにあまりにヤンチャをしたためか、子供からも捨てられて、兄弟からも相手にされなくなってしまい、生活保護を受けて、一人淋しく暮らしていたのです。
おまけに、一人暮らしの生活保護者で、寂しさに付け込んできたヘルパーさんにお金を使い込まれ、どうしようもない状況になっていたのです。
その人と再会を果たしてから、わたしの家族は彼の面倒をみてきたのです。
母は「また、なんでこんなことに」と文句を言いながらも、彼の服を探して来たり、生活費の管理をして貯蓄をしてあげたり、食事を作ってはたまに持っていったりしていたのです。
「噂話の偶然から再会するなんて、他生のご縁だから」と父は我儘なその男性の面倒をみてきたのですが、その父が先になくなり(父は、自分の葬儀に着てこれるようにと、彼の喪服の用意までしていたのです)、母もできるだけ同じようにと頑張ってきたのですが、ここ数年は親戚関係のトラブルに巻き込まれており、精神的に限界だったので、信頼できる知り合いのケアマネさんに彼のことをお願いしていたのです。
その人は、たぶん、というか、絶対、母のことが好きだったのです。
恩人である父の奥さんを、密かに想っていたのです。
だから、わたしは彼のことが少し嫌いでした。
でも、人の気持ちは仕方ないし、父も母もそのことは気付いていたのです。
それでも親身になって面倒を観てきたので、わたしもできるだけは手伝いをしてきました。
その人が亡くなったのです。
親戚からは、一族の恥だから、彼のことは墓にも入れないと言われ続け、厄介扱いされていたので、わたしと母は彼のその後のことがとても心配だったのですが、本当にありがたいことに、十数年連絡しても電話に出てくれなかった妹さんが、彼を看取ってくれ、そのうえ、荼毘にふしてから田舎のお墓に入れるように取り計らってくれたのです。
今日、初めてお会いした妹さんは、やっぱり少し彼に似ていました。
「色々あったけど、死ぬ姿をみていたら、もういいやって思いました」と妹さんは笑っていました。
とてもよかったと思います。
わたしも笑いました。久しぶりに会う彼の顔は痩せてしまって別人のようでした。
でも、灰になってしまえば同じこと。
今頃は自由に手足が動かせるようになって、喜んでいることでしょう。
なによりも、田舎のお墓で眠れることになって、本当によかったと思いました。
最初は田舎では親戚たちが「商品名を花瓶と書いて宅急便で骨壷を送れ」と言ってきたらしいのですが、父が生前に彼のために作ったいくらかの定期預金が出てきて、そのお金があると知った親戚たちは「それだったら、お坊さんも呼べるから連れてこい」と言ってくれたとか。
父が亡くなったあとも、その定期をきちんと崩さずにいてよかったなぁと思います。
地獄の沙汰もカネ次第とはいいませんが、やはりお金はすごいなって話。
いや、そんな話じゃないですね。
とにかく、おじさん、安らかにって話です。
妙な清々しさのある人の死もあるのだと、なんだか、不思議な気持ちです。
そして、母と妹と一緒に枕花を届けに行きました。
その知人は、父が十数年前に飲み屋さんで連れてきた人です。
いや、違う。
ずーっと昔父とその人は仕事で知り合い、音信普通だったのです。
それが、十数年前に、偶然父が遊びに行った飲み屋さんで知らない客が「○○がどこぞの貸家に住んでいる」という噂話をしているのを聞いて、あまりに変わっている名字の人だったので、その噂をしている人に「知り合いかもしれないからどこの貸家か教えてほしいと」頼み、教えてもらって会いにいったら、やっぱり昔から知っている人だったということなのです。
その人は、体が不自由になっており、若いころにあまりにヤンチャをしたためか、子供からも捨てられて、兄弟からも相手にされなくなってしまい、生活保護を受けて、一人淋しく暮らしていたのです。
おまけに、一人暮らしの生活保護者で、寂しさに付け込んできたヘルパーさんにお金を使い込まれ、どうしようもない状況になっていたのです。
その人と再会を果たしてから、わたしの家族は彼の面倒をみてきたのです。
母は「また、なんでこんなことに」と文句を言いながらも、彼の服を探して来たり、生活費の管理をして貯蓄をしてあげたり、食事を作ってはたまに持っていったりしていたのです。
「噂話の偶然から再会するなんて、他生のご縁だから」と父は我儘なその男性の面倒をみてきたのですが、その父が先になくなり(父は、自分の葬儀に着てこれるようにと、彼の喪服の用意までしていたのです)、母もできるだけ同じようにと頑張ってきたのですが、ここ数年は親戚関係のトラブルに巻き込まれており、精神的に限界だったので、信頼できる知り合いのケアマネさんに彼のことをお願いしていたのです。
その人は、たぶん、というか、絶対、母のことが好きだったのです。
恩人である父の奥さんを、密かに想っていたのです。
だから、わたしは彼のことが少し嫌いでした。
でも、人の気持ちは仕方ないし、父も母もそのことは気付いていたのです。
それでも親身になって面倒を観てきたので、わたしもできるだけは手伝いをしてきました。
その人が亡くなったのです。
親戚からは、一族の恥だから、彼のことは墓にも入れないと言われ続け、厄介扱いされていたので、わたしと母は彼のその後のことがとても心配だったのですが、本当にありがたいことに、十数年連絡しても電話に出てくれなかった妹さんが、彼を看取ってくれ、そのうえ、荼毘にふしてから田舎のお墓に入れるように取り計らってくれたのです。
今日、初めてお会いした妹さんは、やっぱり少し彼に似ていました。
「色々あったけど、死ぬ姿をみていたら、もういいやって思いました」と妹さんは笑っていました。
とてもよかったと思います。
わたしも笑いました。久しぶりに会う彼の顔は痩せてしまって別人のようでした。
でも、灰になってしまえば同じこと。
今頃は自由に手足が動かせるようになって、喜んでいることでしょう。
なによりも、田舎のお墓で眠れることになって、本当によかったと思いました。
最初は田舎では親戚たちが「商品名を花瓶と書いて宅急便で骨壷を送れ」と言ってきたらしいのですが、父が生前に彼のために作ったいくらかの定期預金が出てきて、そのお金があると知った親戚たちは「それだったら、お坊さんも呼べるから連れてこい」と言ってくれたとか。
父が亡くなったあとも、その定期をきちんと崩さずにいてよかったなぁと思います。
地獄の沙汰もカネ次第とはいいませんが、やはりお金はすごいなって話。
いや、そんな話じゃないですね。
とにかく、おじさん、安らかにって話です。
妙な清々しさのある人の死もあるのだと、なんだか、不思議な気持ちです。










ブログ教えていただいてから初コメントさせて頂きます。
色々ただ考える出来事ですね。
私も、昔一緒に会社に通っていた同僚が、
私が仕事を辞めた数ヶ月後、自殺をしたって
連絡が来た時、まとまった考えには達しなかった
けれど、色々な方向から考えました。
「清々しさがある」っていうことは、
最大の努力をしてあげたからなんでしょうね。
とても尊敬します。
『小指が少し曲がっているから、手をつなぐと指がぴったり絡む』
あっちゃんの小説で、こんな内容の作品があったよね。
今日の記事を読んで、そのことを思い出しました。
亡くなられたお知り合いの方より、
その方のお世話をされていたお父様に、
強い印象を受けるのはなぜでしょう。
相手を探すように少し曲がった指とは、
あっちゃんの言葉に時折見え隠れする、
深い虚無感の象徴なのかもね。
こんばんは。誰だかすぐにわかりました♪
書き込みありがとうございます〜。
知り合いの自殺はきついですね。そして色々考えられたとのこと、分かる気がします。
わたしは、この年で案外色んな死に触れる機会が多くて、自殺もあるし、他殺もあるし、病死もあるし、事故死もあります。
本当に人って死んじゃうとあっけないです。
だからこそ、わたしは死ぬということを常に考えてしまうし、もっと知りたいと思うし、受け入れたいと考えてしまう。
彼の死が妙な清々しさがあったのは、彼が最後苦しんだからこそ、周りが許してくれたということです。本当はそれは淋しいことだけれど、でもすべてが丸く収まることができたのは、よかったと思います。といいつつも、彼の住んでいた部屋の後片付けなどの雑務が残っており、わたしは多分この先、少し大変ですw
でもまあ、いつものようにヘラヘラ過ごして、なんとか乗り切ります。美味しいお菓子をまた、こっそり分けっこしましょう。
それにしても、小指の形の手を繋ぐ話、覚えてくださっていたとは、本当に嬉しいです。
奇形じゃない愛情なんてありえないと思っているので、その気持ちを、少し曲がって小指に託したのです。
そういうのがいいのか悪いのか分かりませんが、わたしは、わたしの歪んでいるところとぴったり合うものを探して止まないし、誰かに求めてほしいと願ってしまう。
彼を父が見つけた時は、正直思春期だったし、本当に嫌な人が出入りするようになったものだと思っていました。母の名前はサチコと言いますが、彼は「さちこ」という曲の歌詞が書いてある紙を、汚れたふすまに貼っていました。不自由になった言葉とは裏腹に、この曲は饒舌に歌っていました。
勘のいい母は、誰からも誤解されないために、一度も一人で彼の家に行ったことはありませんでしたし、上がることもありませんでした。
彼が死に目に着ていた服が母が求めたものだったのを見て、ふすまに貼られっぱなしになっていたサチコの歌詞カードを見て、思いだしたのです。
わたしは、父の呪縛が解けそうにはありません。飲み屋の噂話一つから、二十年近くも人の面倒をみることになっちゃうなんて、呆れて、仏壇にお線香をあげる気持ちにもなれませんw困った、呆れた父ですね。